あいか▶あいくち

あいか[哀歌] (名)〔文〕4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第6版から、前の行への折返しをやめたので、一行損している項目。第7版は、前の行の「IOC」が二行ぎゅうぎゅうの項目になっているので、物理的に折り返せなくなった。本文に変更はなし。

 

あいかぎ[合い鍵] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第6版までは表記欄に『×鍵』とついていたのだが、2010年に「鍵」が常用漢字に追加されたため、外れることになった。語釈中『錠前(ジョウマエ)』と、漢字に読み仮名になっているところ、第6版まではひらがなで「じょうまえ」だった。

 ところでこの「合い鍵」の表記、送り仮名を抜いて「合鍵」と書いてあるほうが、錠前屋の看板とかホムセンのサービスカウンターでよく見かけるような気がするんだけど、「三国」では「合(い)鍵」のように()でくくって「無くても可」にはしていないようである。他の辞書だと「新明国」「集英国」「岩国」は「合鍵」、「新選」は「合(い)鍵」。

 

あいがけ[合い(掛け)] (名) 〘料〙7:3

 これは個人的に初めて認識した語で、「なんか第7版で初出っぽいな……」と思ったら果たしてそのとおりであった。『カレーとハヤシの合い掛け』のように使うということである。しかし他の辞書には採られていない。「三国」の、食事に関する語彙はわりとマメに収録する、という性格によるものなのかもしれない。

 

あいかた[合方] (名) 4:4, 5:4, 6:4, 7:4

 第6版まで、地の文をかなで書いて()内に漢字表記を入れてる語と、漢字で書いて()内に読み仮名を入れてる語の混在した、不思議な文章だった。第7版では、地の文に漢字を使って、()内は読み仮名、に統一されている。該当部分を抜き出すと、第6版まで「かぶき(歌舞伎)」「芝居(シバイ)」「三味線(シャミセン)」「うた(唄)」「長唄(ナガウタ)」と混在していたのが、第7版では「歌舞伎(カブキ)」「唄(ウタ)」に改められている。単に気持ち悪かった……のではなくて、語釈中に使う漢字の基準が変更されたのだろう。たぶん。

 ついでにいうと、第7版では「(ナガウタ)」という読み仮名が削除されていて、文字数がちょっと減ってるんだけど、残念ながら二文字だけ四行目に行ってしまって、行数の節約にはなっていない。次回頑張ってください。個人的には文中の「とちゅう」を漢字にしてしまって良いのではないかと思う。

 

あいかた[相方] (名) 4:2, 5:2, 6:3, 7:3

 もとは「相棒」に近い意味だけ書かれていたんだけど、第6版で②に配偶者・恋人の意味が加えられた。こういう新用法を拾うのはもちろん「三国」の特色で、他の国語辞典にはない。第6版では『②〔俗〕』という記載があったのに、第7版ではそれも外してしまった。さすがにそれは、ちょっと勇み足なんじゃないかという気がしなくもない。

 全くの余談だけど、他の国語辞典には、より古風な「あいかた」、つまり「敵娼」が載っている(「三国」でもない国語辞典には当然必要だろう)。この言葉を見てると、「ひ孫が恋人を連れてくると言うので会ってみたら、驚いたことに彼女を『あいかた』と呼んでいる。近ごろの若者は昵懇の遊女を家族に紹介するものなのか……」みたいなジェネレーションギャップが起こっていないか、いらぬ心配をしてしまう。「あの娘はずいぶん上等だけど、身請けする金子はちゃんとあるのか……」「おじいちゃん、赤線は廃止になったでしょ」とかね。

 

あいがも[(▷間×鴨)・(合×鴨)] (名)〘動〙6:3, 7:3

 第6版で初出のおいしい鳥。食べ物にわりとマメな「三国」ならではの……と書こうとして、他の辞書を確認してみると、「岩国4(1986年)」「新明国4(1989年)」はおろか、「角国新(1969年)」にも載っている!(「新潮(1965年)」「辞海(1954年)」にもあったけど、あれらは規模が違うのでノーカン)ので、おいしいものに目がないはずの「三国」が、あいがもを第6版(2008年)に至るまで載せていなかったのは、いささか不思議である。「おいしいものに目がない」というのは私の誤解だろうか? でも「アールグレイ」とか採ってる辞書は他にないし……(カタカナ語に寛容なだけか)。「三国は食情報に貪欲か否か」問題は、今後とも追求する必要がある。

 

あいかわらず[相変わらず] (副) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 第6版までは「あいかわら ず」と「ず」の前で構成要素を区切っていたんだけど、第7版では「あい かわらず」と「かわらず」の前で区切っている。「ず」区切りは「新明国」もなんだけど、他の辞典は軒並み「かわらず」区切りなので、「明解」以来、独特な構成要素の解釈を貫いていたのかもしれない。やめちゃったけど。

 しかしまいったな、今まで気にしてなかったけど、こういうかたちの改稿もあるのか……と思って、読んできた項目をざっと見返してみたところ、「あいいれない」でも区切りの変更が行われていた。しかもちょっと面白い。というわけで、特例としてここで一旦「あいいれない」に戻って、区切りの説明をします。

 

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あいいれない[相(▷容れない)] (連) 4:3, 5:3, 6:4, 7:3

 第7版での見出しは『あい いれない』と「いれない」の前で区切ってるんだけど、第6版では『あいいれ ない』と「ない」の前で区切っている。さらに遡ると、第5版、第4版では『あい いれな・い』となっていて、これは第7版と同じく「いれない」の前で区切っているのと同時に、活用時に変化する部分との区切りを示す「・」が入れられている。「相容れな・かった」のような活用形もあるよ、ということを言っているわけである。「相容れなかった」は確かにやや珍しい言い方のような気もするけど、第6版が出る頃までに廃れていたのか? と考えると、別に今でも言うような気がしてくる。それにしても、第6版で「ない」の前を区切ったのはなぜだ? 興味はつきない……。

 

*ところで、区切りに着目したことでわかったことがあるんだけど、第6版までの「アールエッチ いんし」という見出しは、「アール」と「エッチ」の間に区切りがなくて、「R」と「h」を分割可能な語の成分とみなしていないことが明示されていた。他のローマ字語の見出しを見ると、例えば「RNA」は「アール エヌ エー」というように、分かち書きされている。第7版の「アールエイチ いんし」は、「アール[R]」以下の追い込み項目になってしまったことで、「アール」部分が「―」に省略されて「― エイチ いんし」と書かれることになったため、「R」と「h」の間に、本来無かったはずの区切りがあるように見えていたわけである。

 

 区切りの変更にも注目すると面白い、ということがわかったので、本稿でも見出しには区切りをつけて書くように、はじめから直そうかなとも思ったんだけど、とりあえずやめておきます。今後も区切りの変更については、なにか気づいたときだけ言及します。

 

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 と、いったところで、続きを再開。

 

あいかん[哀感] (名) 4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 堂々たる一行項目。読み下しただけじゃないか、という気もする語釈だけど、まあそれはともかく。第7版で〔文〕が外された。

 

あいかん[哀歓] (名)〔文〕 4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 これまた堂々たる一行項目。「哀感」とは違って〔文〕が外されなかった。

 

あいがん[哀願] (名・他サ) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第5版にて用例が書き加えられたが、行数据え置き。

 

あいき[愛器] (名)〔文〕4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 第7版で〔文」の外されている項目が多いかも、という話を前にしたけど、この項目は逆に、第7版で〔文〕がついている。

 

あいき[愛機] (名)〔文〕4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 これも「愛器」と同様、第7版で〔文〕がつけられた。

 

あいぎ[合い着・▷間着] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 内容に変更はないが、定義②の参照指示が『あいふく』だったところ、第6版で『合い服』と漢字に変更された。

 

あいきどう[合気道] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:3

 引用はしませんが、第6版まで「それじゃ空手と区別つかないのでは……」という語釈だった。これはいかんということで(たぶん)、第7版でさらに一行追加して、ちゃんと合気道だとわかる語釈になりました。よかった。

 

あいきゃく[相客] (名) 4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 まったく変わってない項目、その11。

 

アイキュー[IQ] (名) 5:2, 6:2, 7:2

 第5版の初出時には引用指示が『ちのうしすう』となっていたが、第6版で『知能指数』に変えられた。語釈中に使える漢字の基準を見直したためと思われる。

 

あいきょう[愛郷] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その12……ではあるものの、第5版まで、次の見出しの「あいきょう」が先に並んでいた。そのせいで第6版が初出なのかと勘違いしてしまった。なぜそうなったかは、次の項目で説明します。

 

あいきょう[(愛×嬌)・(愛▷敬)] (名) 4:6, 5:6, 6:6, 7:6

  語釈はまったく変わってないんだけど、第6版から表記欄に「愛嬌」のほうが先に書かれるようになった。それまでは「愛」が先だったので、「愛」よりも二文字目の画数が少ないから、見出しが先になっていた、というわけです。

 ではなぜ「愛嬌」が先に書かれるようになったのか? と考えると、「三国」のことだから、現在より多く使われているのが「愛嬌」のほうだから、ということになる。

「敬」はいちおう常用漢字(音訓外の読み)である一方、「嬌」は常用漢字ですらないので、一見、難しい字を書く「愛嬌」のほうが古いかたちで、「愛敬」は当用漢字以降の当て字かな? という誤解をしてしまいそうになるんだけど、もちろん「愛敬」のほうが立派に元の形です。仏教用語がその源で、仏の慈相をいう「愛敬相(アイギョウソウ)」に由来する。それが「人当たりの良い」くらいの日常語に転用されて、徐々に今使われる「あの子、あいきょうのある顔だねぇ」の意味になってきたあたりで、女性のなまめかしいさまを表す「嬌」の字が当てられたわけである。

 今では昔の「愛敬(アイギョウ)」にあったような、仏の慈愛を引き合いに出すニュアンスで、やや高尚な意味を含めて用いられることは、まず考えられない。それゆえ、現代語の「あいきょう」の表記としては、「愛嬌」を優先するのがふさわしい……というのが、「三国6」での判断なのではないかと思われる。それだけでなく、用例の数を比べても、「愛嬌」が多いのかもしれない。用例の裏付けなく動くような辞書ではないからである。

 

あいくち[(合口)・(:匕首)] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第5版から、表記欄に()がつけられた。これは「かな書きしてもよい」のサインなので、「あいくち」の場合は、全体をかな書きしてOK、ということになる。このシステムが導入されたのも第5版からである。

 

あいくち[合い口] (名) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 慣用句「●合い口が悪い」の意味だけが載っている項目で、内容的には変わってない。が、第5版まで『①よく意志が通ず、話があわない。 ②〔すもうで〕にがだ』となっていたのに対し、第6版で『①よく意志が通ず、話が合わない。 ②〔すもうで〕にがだ』という微修正を施している。あまりにも微修正なので、全文引用する以外に説明する方法が無いくらいである。

「手」のことはともかく、「通ぜず」って送るの、ちょっと古い言い方という感じは確かにある。いつぐらいから「通じず」に入れ替わっていたんだろう。第6版で変わってるから21世紀以降、ということはないと思うが、戦中派世代くらいまでは並立していた、という感じが個人的にはする。そのへんのことを厳密に追求するのは、私の手に余る。

 ところでこの「合い口」という語、他の辞書を見ると、「相性」と同じ意味・使われ方をする語のようである。ということは、「合い口がいい」という肯定の表現にも使われうる。「新潮」を引いてみると、古くは「物と物との合わせ目」という意味だったということなので、肯定に使われること自体は不思議ではない。

「三国」では、「合い口」単体としては、現代日本語でほぼ使われなくなっていて、「合い口が悪い」という慣用句の中にのみ生き残っている、という観察に基づいて記述しているものと思われます。

アイアール▶アイオーシー

アイアール[IR] (名) 6:3, 7:3

 第6版で初出。いまのところinvestor relations(投資家向け広報)の略語としてのみの掲載なので、ちかごろ議論の喧しいintegrated resort(統合型リゾート)が次の版で載るかどうか、注目の見出し。ちなみに「集英国」と「岩国」ではinformation retrieval(情報検索)だけを載せている。

 

アイアイ (名)〘動物〙6:2, 7:2

 例のおさるさん。「ユビザル」という異称があって、第6版ではカタカナで書いてあったんだけど、第7版では『ゆびざる(指猿)』と漢字表記つきのひらがなにされている。なぜだ。「ユビザル」とだけ書いてあったら、「jubizal」とか綴る外国語だと誤解される、と思ったとか? そんなわけないか。

 ところで、他の国語辞典だと、たいてい猿の「アイアイ」はなくて、「あいあい[藹藹]」が見出しに立っている。「和気藹々」ならともかく、「藹藹」を独立して使うことは、現代日本語ではほとんどあるまい、という「三国」の判断が見て取れる……んだけど、じゃあ猿の「アイアイ」があの歌以外で一般的な日本語に出てくるのかと言うと、それはそれで疑問である。

 

あいあいがさ[相合い傘] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その7。語釈中『男女がいっしょに…』となっていることにかすかな引っ掛かりを覚える。これではせっかく書き換えた「愛②」の定義とそぐわないのではないか、それとも、恋愛感情とは関係なく、男女がともに傘に入ることだけを「相合い傘」と呼ぶとでもいうのか……と、いうのは、さすがに意地悪な指摘かな。

 

アイアン (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その8。鉄のことではなくて、金属製のヘッドをもつゴルフクラブのこと。「角川」「新潮」のような古めの辞書だと、原義である「鉄」というのを①に載せているんだけど、こと最近の小型国語辞典にあっては、「アイアン」とはゴルフクラブのことである。

 

あいいく[愛育] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 記述に変更はないんだけど、なぜか第5版で前の行への折返しをやめてしまっていて、一行損している。

 

あいいれない[相(▷容れない)] (連) 4:3, 5:3, 6:4, 7:3

 これまた地味な改稿が続けられている、なかなか油断ならない見出しである。各版の定義を表に示す。

表 「三省堂国語辞典」における「相容れない」の定義の変遷

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 第4版の定義①では、『存在をみとめない』というなかなか剣呑なものだったの対して、第5版では『立場をみとめない』というややマイルドなものに変更され、ついでに用例も書き加えられた(表には載せてないけど)。

 第6版での本文の変更はなかったが、第5版まで(形)だった品詞表記が(連)に改められた。それぞれ形容詞と連語ということだけど、連語というカテゴリ自体は第4版にもあるので、第6版で新設されて移動したわけではなく、単なる見直し。

 そして第7版では、内容が大きく動いている。旧版の①と②のような、人(相手)同士を対象にしている「相容れない」は①にまとめてしまって、②のほうには、ことがら同士の「相容れない」を新たに意味分類に立てている。定義文からは、人ではなくことがら同士の「相容れない」を指しているのがわかりにくいけど(「両立する」は、人について言うときにはあまり使わないので、一応察しうる)、②の用例として『憲法の精神と相容れない制度』というのを載せていることから明らかである。

 ただ、この事をもって、第4版の頃には「相容れない」がもっぱら人の間に使うものだったが、第7版の出る頃までにものごとに使われるように変化してきた、と言いうるのか……と考えると、どうもそうではないんじゃないか、と思わざるを得ない。

 第5版では用例が書き加えられていると前に述べたが、定義①(おたがいに相手の立場をみとめない)の用例は『相容れない主張』というものだった。これは確かに一般的な使われ方だが、厳密に考えると、定義と用例がわずかに噛み合っていない。「主張」自体は人ではないので、お互いを「相手」とすることはないからである。「主張」を被修飾語にとるのであれば、「両立しないことがら」であることを(も)表現する語として、「相容れない」の定義を書く必要がある。それで第7版の定義②が書かれた。つまり、旧版の不備を補うための改稿であって、「相容れない」自体の使われ方の変化ではない、というのが、私の見立てである。

 見ている部分がいよいよ細かすぎて、書いてる自分でも「何言ってんだこいつ」という気がだんだんしてくる。ちょっと休憩しよう。

 

あいいん[哀韻] (名)〔文〕4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その9。

 

あいいん[愛飲] (名・他サ) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第6版までは〔文〕という記載があったんだけど、第7版では外された。確かに、「愛飲」は今ではわりと日常語という気がする。

 ついでに、愛飲の対象として挙げられている例も、『酒・ビールなど』から『酒・コーヒーなど』に変更されている。いまの語感だと、「いやいや、ビールも酒じゃん」って思うので、納得の改稿である。平成前半くらいまでは、ビールとは他の酒と区別して言及するに値する特権的な飲み物だったのだ……ということなのか、あるいは「酒」と言えば日本酒を指しているのであって、アルコール飲料一般を言っているとは思われなかったのか、そのへんの細かいニュアンスまでは、ちょっと私には汲み取れない。

 

あいうち[相打ち・相討ち] (名) 5:3, 6:3, 7:3

 第5版での初出以来、変更なし。

 

アイエイチ[IH] (名) (6:3), 7:3

 induction heatingのIH。第7版で初出……じゃなかった。第6版では「アイエッチ」で載ってます。

 

アイエーイーエー[IAEA] (名) 5:3, 6:4, 7:4

 第5版の初出時には、「国際原子力機関。」という日本語での名称を書いて項目が終わっていたが、第6版ではさらにもう一行費やして、機関の活動目的が書き足されている。

 

†あいえき[愛液] (名)〔俗〕4:2, 5:2, 6:2

 みんな大好きエロ見出し……なんだけど、残念ながら第7版で脱落。あえてここに転記はしないけど、語釈も今の目で見ると不穏当なものになっています。「濡れてるからOK」じゃねぇわボケ!!!!という文脈で。したがって、残念ではなく、妥当な見直しだったと言うべきでしょう。グッジョブ「三国7」。

 

アイエスオー[ISO] (名) 5:5, 6:5, 7:5

 みんな大好きISO。第5版での初出以来変更なし。

 

アイエスビーエヌ[ISBN] (名) 7:4

「三国7」小型版のISBNは、978-4-385-13927-2です。

 

†アイエスディーエヌ[ISDN] (名) 5:4, 6:4

 第5版で初出、第7版で脱落。ついに平成の間に生まれて消えた見出しを見つけてしまった……。ちなみに第5版と第6版の本文は微妙に変えられているんだけど、えーと、説明しません。

 

アイエムエフ[IMF] (名) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 まったく変わってない項目、その10。

 

アイエルオー[ILO] (名) 4:4, 5:4, 6:4, 7:4

 本文中「労働条件や社会保障について……」と書いているところ、第6版までは「保障(ホショウ)」とふりがなを付けてあったのが、外されている。どうしてそうしたのかは不明。行の節約でもないし、ふりがなを付ける基準に変更があったのかな。

 

あいえん[愛煙] (名・他サ) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第7版で〔文〕が外れている。「愛飲」もそうだったけど、第7版では文章語とする指定が外された見出しが多い。おそらくインターネットの普及によって、文章語と日常語の境目が大きく動いたと言うか、曖昧になったことを反映してのことと思われる。

 ところで、品詞に「他サ」とあるけど、「愛飲する」みたいに「愛煙する」って言うかな? 例えば好きなタバコの銘柄を言うときにも「愛飲する」を使うと思うし、「愛煙する」って私は聞いたことないけど……。でも「三国」のことなので、用例はちゃんとあるんだろう。ことほどさように、私の「三国」に対する信頼は厚い。

 

あいえんきえん[合縁奇縁] (名) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 本文に変化はないが、記号の使い方の変更が観察できる項目。『人は偶然のきっかけで、したしい関係・夫婦になるものだ、ということ』というのが第5版までの定義文なんだけど、第6版は『したしい関係(夫婦)』に変更されており、第7版では『〈したしい関係/夫婦〉』になっている。どれも意味としては並立(したしい関係になるものだ or 夫婦になるものだ)である。でもこの第6版の書き方だと、したしい関係=夫婦に限定するものと誤読しかねないように思う。

 と、言っても、これは前後の版の表記と並べて比べるからそう思うだけで、第6版の「この辞書の使い方」をちゃんと読んでいれば、「(夫婦)」を見ても即座にこれは並立だな、と思えるようになっている。語釈を読んでいて引っかかるものがあったら、念のため記号の意味を取り違えていないか確認するのが、正しい辞書しぐさです。

 ちなみに、「合縁縁」とも書かれることが、他の辞典を読むとわかるんだけど、「三国」は伝統的にそっちの表記を採っていないようである。逆に「新明国」はこの点さらに念入りで、文末の[表記]欄にて、「合縁」が「相縁」とも「愛縁」とも書かれること、「奇縁」が「機縁」とも書かれることを明記している。

「奇縁」と「機縁」の意味の違い(どちらも見出し語である)を考えると、「あいえんきえん」の意味では「奇縁」が正解のような気もする。しかし、この語がどういうときに使われるかを考えると(披露宴のあいさつとか電報とか)、まぁ好きなように当て字して意味を膨らませて、うまいこと言えば良いんじゃないの、という気持ちにはなる。

 

あいおい[相生い] (名) 5:3, 5:3, 7:3

 第5版での初出以来変更なし。

 

アイオーシー[IOC] (名) 4:3, 5:3, 6:3, 7:2

 第6版までは『国際オリンピック委員会。』の「会。」だけが三行目になってしまっていたんだけど、第7版では字詰めを頑張って、内容据え置きで二行項目に変えることができた。よかった。

アールグレイ▶アイ

アールグレイ (名) 7:2

 第7版で初出。「三国」は一般国語辞典なので、固有名詞を載せる優先順位は低いんだけど、飲食物に関してはきわめてマメである。小型国語辞典で「アールグレイ」を載せているのは他にない。

 

アールデコ (名) 5:4, 6:4, 7:4

 第5版での初出以来、変更なし。

 他の辞書との比較になるけど、「集英国」「岩国」では1920~30年代としているのに対し、「三国」「新明国」は1910~30年代としていて、その開始時期に差がある。美術史的には、① WWI(1914~18年)の直前くらいのパリで生まれて、② 1925年のパリ万博で完全に開花し、人口に膾炙した……ということなので、「三国」側にわずかに分があるように思う。日本の国語辞典に載るレベルの一般語としては、パリ万博以降の「アールデコ」を指すべきだろう、という考え方もわからないではないけど。

 

アールヌーボー (名) 5:4, 6:4, 7:4

 これも「アールデコ」と同様、初出以来変更なし。

 

ああん (副)/(副・自サ)〔児〕/(感)〔話〕6:5, 7:5

  第6版での初出から行数は変わっていないが、意味分類の序列が変わっている。第6版では[一]が感動詞(①困ったときの声 ②甘えるときの声 ③ぞんざいに問いかける声)になっているけど、第7版ではこの分類は[三]に降ろされて、第6版の[二]に載っていた副詞(大きな泣き声)としての意味が[一]に昇格している。確かに「あーん」といえば、まずは泣き声だろうと思う。ただしこれは、時代による変化を反映した改稿というよりは、単に初出時の内容を訂正したことによるものと思われる。

 

あい―[相] (接頭) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 まったく変わってない項目、その4。

 

あい[合い] (名)/(造語) 4:5, 5:5, 6:5, 7:5

 まったく変わってない項目、その5。

 

あい[▷間] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 語釈は変わっていないんだけど、第6版まで見出しの下にあった〔文〕が、第7版では無くなっている。文章語ではなくふつうに(口頭でも)使われている語だ、という見直しがあったことを示す改訂だけど、これはいささか不思議な感じがする。挙げられている用例(①『間のふすま』②『障子の間』)からいっても、古風な言い方だという印象を受けるし、いまになって口語に復帰してるとは思いがたい。具体的にどんな用例があってのことなのか、ちょっと想像がつかない……とか考えながら、他の辞書をめくってみると、「幕間(まくあい)」とか「間着(あいぎ)」とかが例に挙がっていて、ああこれなら使ってるかも……と思いなおした。疑ってすまなかった。

 

あい[愛](名) 4:9, 5:9, 6:10, 7:10

 分量としても表面的な内容にも大きな変化はないけれど、時勢に応じた変更が加えられている、比較が楽しい項目である。

 記述全体を要約すると、三つの意味分類として、①非打算的な愛 ②男女間の愛 ③物や事に対する愛 というのと、三つの慣用句「愛の結晶」「愛の巣」「愛の鞭」が載っている、という構成はおおむね変わっていない。しかし、第4版から順に見比べていくと、第5版では一句違わずそのまま、第6版で若干の手直しをして、第7版では外見こそ似てるけど中身は一新、という変遷が見られる。比較のために、定義部分だけ抜き出して表に並べてみる。

表 「三省堂国語辞典」における愛の定義の変遷

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第6版で定義②が書き換えられているのは、単に「愛」の説明として「愛情」と言い切っちゃうのはどうなのよ、ということに気づいての改修と思われる。①が慈愛の愛、②が恋愛の愛、③が愛用や愛郷心の愛、という区別になっていることでは変わりがない。

 一方で第7版では、①が旧版の①と③を合わせたような意味になっていて、③はものだけを対象とすることと、『つくそうとする気持ち』、つまり献身の有無、という二点で区別がつけられているようである。

 ちょっとこれだけではわかりにくいので、第7版で書き加えられた用例を参考に見てみると、①には『学問への愛』、③には『カメラへの愛』が挙げられている。うーん。確かに「学問への愛」と言う場合に求められるであろう、プロフェッショナルとしての献身よりも、「カメラへの愛」というほうが、ちょっと好きで高価な機材も買ってますよ的な、アマチュアの物欲を「愛」と呼んでる風の軽薄なニュアンスが付いて回るような……とは思うものの、その逆のケース(専門書を積む学者気取りと献身的なプロカメラマン)もあるだろうし……とか思ってしまうのは、私の性格が悪いだけだな。

 余談だけど、③の定義にあたる、ものに対する「愛」の用法の説明では「辞海」がなかなか秀逸で、『他の漢字に冠して、「日ごろ大切に使っている」の意』という定義をしている。「愛機」「愛器」「愛車」とかの「愛」ですね。これは言わば造語成分としての説明であって、「三国7」の③で言う「物への愛」の用法とは厳密には違うとも言えるけど。個人的にはこの語釈、「愛人」という言い方に含まれる、わずかに相手をモノ扱いする冷ややかな気配を言外に指摘しているようにも読めて、怜悧な観察眼の発揮された名語釈じゃないかと思う。深読みしすぎだろうか。

 話を戻すと、①②の人間を対象とする使い方が主で、それよりは珍しい使い方だけど、ものごとを対象とする「愛③」もあるぞ、という風に読めてしまう第6版までの書きぶりは、「最も一般的な使われ方を①に載せる」という「三国」の大原則と、噛み合わなくなってきていたんじゃないかと思われる。日本語で使われる「愛」が、ものごとに対する献身を表している場合って、単純に頻度で比較したら、人に対して使われる場合より多い気さえする。データ見て言ってるわけじゃないので、間違ってたらごめんなさい。とりあえずちょっと「少納言」で出てくるのを数えてみようか……と思いかけたけどやめた。私程度の辞書愛では、そこまでの作業には踏み込めない。

 

 定義のほうはこのくらいにして、慣用句の説明を読んでいく。これも第7版でちょっとずつ変更が加えられて、より現在の使われ方にフィットしているように思う。

『愛の結晶』は、第6版までは子どもを指すものとされていたが、第7版で『〈子ども/作品〉』に変えられている。作品に対して言うのは、やや比喩的な転用の傾きがあって、わざわざ辞書で拾うこともないだろう、と私などは思ってしまうけど、きっと根拠になる実用例がけっこう溜まってたんだろう。

『愛の巣』では逆にちょっと意味が制限されていて、第6版までは『愛しあった夫婦がつくる(新)家庭』だったのが、第7版で『愛しあった夫婦がつくる(新しい)住まい』に変えられている。確かに家庭というよりは、住居のことを言っている、という語感はあるけれど、(新)を含めた旧版の、きれいなリズムも捨てがたい。七五調とは喜びである。

『愛の鞭』は、第7版で『〔体罰の言いわけにも言う〕』という注記が加えられている。第4版の時点でもすでに『特に、体罰』とは書いてあって、平成初年ごろには、いちおう公的に「体罰なんか効果もないしやめましょう」という事になっていたはずだから、いわば半歩踏み込んで、「体罰のことを『愛の鞭』と美称してることがあるけど良くないよね」というほのめかしをしていた、と解釈していいと思う。それを第7版では、真正面から踏み込んで袈裟斬りにするぐらいの勢いで『体罰の言いわけ』として言ってるだろ、と断じているわけである。このように、生真面目な辞書づくりを通じて、あくまで結果的に、鉈のように重く鋭い文明批評が浮き上がってくるところに、「三国」を始めとする小型国語辞典の妙味があると私は思う。

 

あい[藍] (名)〘植〙4:2, 5:3, 6:4, 7:3

 藍というと「青は藍より出でて藍より青し」ということわざを連想すると思うんだけど、この句が『藍』の項に書かれるようになったのは第6版からである。第5版では「:⇒(を参照せよ)」で『しゅつらん[出藍]』の項にリンクが貼られて、その先で「青は…」の句とその意味が出るようになっていた。第4版にはそのようなリンクもなかったが、『しゅつらん[出藍]』の見出し自体はあって、そこで「青は…」を知ることはいちおう出来た。しかし、「藍」をキーワードに「青は…」のことわざの意味までたどり着くことは出来なかったわけで、第5版ではその点が配慮されたものと思われる。

 その後、第6版で「藍」の項目中にも「青は…」の句が書かれることになるわけだけど、書いたからと言って特にその意味を説明することもなく、『「青」の[句]』という注記で『あお[青]』の見出しに飛んでいる。『しゅつらん[出藍]』には直接飛べなくなっているのだ。この処理はかなり手の混んだものなので、手元に「三国」第6/7版がある人はぜひ確認してほしいんだけど、「青」の見出しの下に書かれている「青は…」の句の説明を見てみると、『染料の青は藍を原料とするが藍より青い』という、そのまんまだというか、それは「染料まめちしき」だろうという文になってしまっていて、通常このことわざでイメージする「弟子が師を超える」という意味になっていない。さらにその下に「出藍」へのリンクがあって、そこへ飛んでやっと、『●出藍の誉れ[句]〔文〕弟子が先生よりもすぐれていること』という意味がわかるようになっている。

 こう書くと、「それじゃーただの二度手間じゃないか」と思われそうだ(私も思った)。しかしよくよく考えると、例えば「青」も「藍」も色の名前でしょ、という予備知識で「青は…」の句にはじめて遭遇した人は、「青は藍より出で」という部分が、染料とその原料の関係のことを言っていることには思い至らないわけで、そのまま「弟子が師を超える」という意味を説明されても、染料のことが頭に入っていないからうまく飲み込めない、ということになりかねない。すると、「青」のところで一旦「染料まめちしき」を説明されてから「出藍」に飛ばされる、という第6版以降の構成のほうが、ことわざの正確な理解に至る可能性が高いと言える。第5版の記述では、「出藍」の項で「青は…」の一般的な(「弟子が師を超える」)意味には辿り着けるけど、そこから「青」へのリンクが貼られていないので、自ら機転をきかせて「青」の追い込み項目を見に行かないと、染料(青)と原料(藍)の関係を比喩的に使って「弟子が師を超える」という意味内容を表現していることが確かめられない。

 ……と、長々と説明しといてなんだけど、いきなり「出藍」に飛ばされる第5版のほうが、まだるっこしくなくていいや、という人もいるんじゃないかという気はする。私のように、辞書を遊び相手とみなしているような人間からすると、より正確な理解のためならば、たび重なる参照の指示も大歓迎、ぐらいに思えるけど。

 ところで、第7版で行数が一つ減っているのは、「藍」が2010年の改定で常用漢字になったために、表記欄が[(×藍)]となっていたのが、[藍]で済むので三行に収まった、ということのようです。

 

あい (感)〔古風・俗〕7:2

「この項目は第7版が初出か?」「あい、そのようで」

 

アイ (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

アイキャッチ」とかの「アイ」。つまりeye。まったく変わってない項目、その6。

 

†アイ[I] (名)〔学〕4:1

 これは第4版を最後に使われなくなった見出し。学生の使う語(隠語と言うべきか)ということだけど、私はこれを見るまで知らなかったし、中型辞典にもウィキペディアにも載っていなかったので、意味が知りたい人は「三国4」を引いてみてください。

アーチェリー▶アール

アーチェリー (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第7版では、体育競技の一つであることが明示的にわかるように改稿されている一方で、『日本の弓より小さい』という説明が省かれた。

 

アーティスト (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:4

 意味区分をして、『①芸術家』『②演奏家』の二つが書かれていることではどの版も同じだが、第6版で②に『歌手をふくめることもある』と注記されたのに続き、第7版では『歌手。演奏家。』としていて、単に歌手を示す語としての用法が最も一般的とみなすようになったことがわかる。

 ちなみに第5版までは主見出しが『アーチスト』で、文末の注記に「アーティスト」が書かれていたけど、第6版で逆転した。

 

アーティチョーク (名)〘植〙4:4, 5:4, 6:6, 7:4

 第5版までは『和名チョウセンアザミ。』までだったんだけど、第6版ではフランス語由来の別表記『アルティショ』『アーティショー』が書き加えられた。行数では第7版でもとに戻っているけど、これはイラスト(アーティチョーク)の配置との兼ね合いによるもので、本文の変更はなし。

 

アート (名) 4:5, 5:10, 6:9, 7:8

 第4版では追い込み項目が『アートディレクター』だけだったんだけど、第5版で『アート紙』『アートフラワー』が加えられた。その後行数が減っているのは、イラスト(アーティチョーク)の配置との兼ね合いによるものです。第7版ではふりがながひとつ削られて、8行に収められた。

 

アーバン (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その2。

 

アーベント (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 内容としては全く変わってないんだけど、第6版から何故か前の行の余白に折り返す処理をやめてしまって、一行の損になっている。『アーバン』の二行目の余白はもちろん変わってないので、ただ損してるだけみたいに見えるけど、なにか他の箇所との兼ね合いがあるのかもしれない。

 

アーム (名) 4:3, 5:3, 6:4, 7:3

 第5版までは、『①うで』『②受話器』『③ミシンの、本体の部分』という三つの意味区分がされていたんだけど、②と③は第6版で『②うで状の部分』にまとめられた。「うで状の部分」の例として、受話器やミシンの本体部分を挙げて説明している。家庭でミシンが使われなくなったことを反映した変化と思われる。

 ところで、『①うで』の用例は、第5版までは『アームバッグ』だけが書かれていて、第6版で『アームチェア』『アームレスリング』が書き足され、第7版では『アームバッグ』が削られている。ここでいう『アームバッグ』というのは、ちょっと長めの(持ち手/ひも/チェーン)がついていて、うでにかけて持ち歩くハンドバッグのことである。そういえばあれって廃れたよねという感じが確かにする。持ってる人がいても、「ハンドバッグ」としか呼ばないんじゃないかと思う。いま「アームバッグ」と言われたら、ジョギング中に腕に巻いておく小さなポーチのことを思い浮かべる人のほうが多いんじゃないか。そうでもないか。

 ついでにいうと、大抵の辞書で「うで」の意味の例が「アームチェア」、「うで状の部分」の意味の例が「レコードプレイヤーのアーム」になっているところ、アームバッグだのミシンだのを持ってくるあたり、婦人むけの読み物からも抜かりなく用例を採集している見坊先生のお姿が偲ばれて楽しい。

 

アーメン (感)〘宗〙 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 おおむね変更がないんだけど、第6版まで品詞が(感・名)になってたのが、第7版で名詞扱いをやめ、分野表記〘宗〙がつけられた。

 他の辞典でもおおむね感動詞としてしか扱っていないし、語感からいってもそりゃそうだろうと思うので、「三国」が第7版でやっと(名)を削ったというのは、やや奇異なことに思える。他に「アーメン」を名詞と記載している辞書は「辞海」と「新選」である。「辞海」はもちろん昭和初期の辞書だし、「新選」は新語や教科語の増補はマメでも、昔からある項目の内容に関してはやや保守的、という傾向のある辞書なので、どうも昭和初期ごろまでは「アーメン」の名詞的用法が行われていた、ということと思われる。「三国」は昔から俗語・俗用に寛容なので、こういうのも当然採る。

 ちょっと暗い推論だけど、わざわざ「アーメン」などと呼ぶ対象がいた、ということは、恐らくキリスト教徒に対して批判的・揶揄的に言及するときに使っていたのが「アーメン」の名詞的用法なんだろう……と、いったところで「新潮現代国語辞典」を引いてみたら、そのものズバリの意味区分が、バッチリ引用例文付きで載っていた(引用元は藤村「桜の実の熟する時」)。さすが「新潮現」。

 ともあれ、このような経緯のある「アーメン」の名詞的用法が「三国」第7版から削られているのは、日本語が少しきれいになったことの一つの証拠といえる。

 

アーモンド (名)〘植物〙4:2, 5:2, 6:3, 7:3

 第6版でやや詳しい語釈に書き換えられているが、全体的には「ああ、あの食べてる部分はタネなんだ」と思える程度の語釈で変わりはない。用例には『アーモンドチョコレート』がずっと挙げられていたんだけど、第7版で『アーモンドアイ』が加えられた。たぶん新語として拾ったけどあまり一般的でもないので、とりあえず『アーモンド』の語釈に(行数を増やさないので)入れとこう、という経緯によるものと推察する。

 他の辞書を見ると、アーモンドの別表記・別名として、アマンド、アメンドウ、巴旦杏、扁桃の中からいくつか(「集英国」や中型辞典には全て)載っているんだけど、「三国」にはひとつも載っていない。ほぼ死語状態の昔の音訳(アマンド、アメンドウ)とか、歳時記レベルの語彙の巴旦杏はともかくとして、「扁桃」ぐらいは載ってもいいのになと一瞬思ったけど、確かに「アーモンド」から「扁桃」を知れるようにしておくのは、やや雑学目的の記述という気がするし、「三国」はそういうのをストイックに禁じる辞書なんである。ちなみに『へんとう[扁桃]』の項目には『(=アーモンド)』という記載があります。

 

アール[R] (名) 7:23

 第7版で初めて、23行という破格のボリュームで登場した驚くべき見出し……と、一見思ってしまうのだけど、よくよく見ると、その記述の一部は第6版から載っている、というちょっと厄介なやつ。曲線の程度を表す『アール[R]』を新たに見出しに立てたことで、追い込み項目のルールによって、もともと載ってた「R」を頭文字に持つ見出し語が『アール[R]』に吸収されて生まれた、合成獣のような項目である。

 どういうことかというと、第7版の『アール[R]』は曲線半径のRという意味のあとに、『アールアンドビー[R&B]』『アールエイチいんし[Rh因子]』『アールエヌエー[RNA]』『アールシー[RC]』『アールしてい[R指定]』『アールディーディー[RDD]』『アールブイ[RV]』という7つの追い込み項目が並べられているんだけど、そのうち4つ(「Rh因子」「RNA」「R指定」「RV」)は第6版では独立した見出しだった。今回始めて『アール[R]』という見出しが立ったので、「R」を頭文字に持つ見出し語たちは、「複合語の先頭の構成要素が3音以上の場合、主見出しの下に追い込む」というルールによって、見出し語としての独立を奪われ、『アール[R]』の支配下に置かれることになった。ついでに「R&B」「RC」「RDD」も新たに収録されて、『アール[R]』は初出ながら実に7語もの追い込み見出しを支配する巨大見出しとして「三国」第7版に登場した。こういうのを見出し語における帝国主義という……ええい、わかりにくいな。図にするか。

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 と、いうわけで、のちに追い込んでまとめられる項目も含めて行数をカウントするなら、4:4, 5:6, 6:15, 7:23 ということになる。こういう大規模な紙面の変更が見られることについては、珍しくて嬉しいんだけど、個人的にはこの処理に納得いってないところがある。

 というのも、「R」単体には曲線半径を示すもの、という意味しか与えられていないのに、その下部項目として、曲線半径とは関係のない意味の「R」をもつ語がずらずらと並んでいると、ぱっと見たときに混乱するからである。「アート」の下部項目に「アート紙」「アートディレクター」「アートフラワー」が並んでいるのは、どれも「アート」のもとの意味に関係がある。同じ構造の大きな項目があると、意味的にも同じ構造をとっているものとつい思ってしまうのだ。「Rh因子」に至っては、rhesus monkey(アカゲザル)から頭二文字を使ったものなので、「R」と「h」を分割して造語成分と見なすこと自体にいささかの無理があると思う。

 もちろん、『この辞書のきまり』をよく読めば、追い込み項目は純粋に音の数で決まるのであって、意味的なつながりが必ずあるわけではない、と納得できるし、ルールの徹底が辞書の生命線だというのも理解できる。日本語の文章中に「Rh」と出てきたら、とりあえず文字ごとにバラして辞書を引くだろうとも思う。ただ単に、結果として直感的には誤解を招くかたちになってる、と思うだけです。

 じゃあどうなってれば良いんだよ、と考えると、簡単な解決策としては、「R」の意味に「①アルファベット(ラテン文字)の18番目の文字」とか書いておいて、曲線半径と関係のない「R」をもつ語が続いても意味的に混乱を来さないようにするのが良いのではあるまいか。ただしそれをやると、他のアルファベットにもいちいち「何番目」を書かないといけなくなるので、けっこう紙幅を食うからやりたくないのもわかる……と、思いながら、試しに『エー[A]』を見に行ってみると、『①アルファベットの第一文字』と書いてある。あれ。書いてるのかよ。と、思いながら、『ビー[B]』を見に行ってみると、『①アルファベットの第二文字』と書いてある……が、隣の『ピー[P]』には何番目とは書いていない。と、いうことは、「ABCD」くらいまでは、昔の「甲乙丙丁」の使い方で日本語の中でも使われることがあるから、いちいち何番目と書いてあるのかな? と、思いながら、『シー[C]』を見に行ったら、書いてなかった。①にはセルシウスのことが書いてあった。『③等級の三番め』というのはあったけど。「ディー[D]」なんか見出しにすらなってなかった。ということで、「アルファベットの何番目」をいちいち書き足したら、24行くらいは増えるはずである。これはけっこう大きい。日本語の辞典なのにいちいち載せるのかという問題もあるし。まぁ載せてる辞書もあるけど……という比較はここでは控える。手間がかかるので。

 ちなみに「R」以外に同じような追い込み処理が起こりうる(つまり読みが3音以上の)アルファベットには、他に「H」「W」「X」「Z」があるわけだけど、このうち単体で見出しになってない「Z」以外は、第4版から追い込み項目を持っていた、とだけ、今は述べるにとどめる。キリがないので。

 

アールエイチいんし[Rh因子] (名)

 この項目、第5版までは母子間で型が合わないと死産になることがある、という情報だけが載っていたんだけど、第6版ではもう少し説明が丁寧になり、輸血のときに問題になる、ということを優先して書いている。輸血の話題のほうが一般的と判断するのが今なら普通だと思うので、この語が見出しになった時点では、妊娠についての記事の中から採られたものと思われる。婦人向けの読み物からも抜かりなく用例を採集している見坊先生のお姿が偲ばれて楽しい……いや、婦人向けの読み物から拾ったとは限らないけど(アームバッグも)。

 ところで、上の図で気づいた人もいるかもしれないけど、第7版から「H」の読みは原則的に「エッチ」じゃなくて「エイチ」だということになりました。第6版までは『アールエッチいんし』という見出しだった。確かに真面目な文脈では、どんな「H」であっても「エッチ」と読むのがはばかられる雰囲気はある。「新明国」は第4版(1989年発行)で既に「エイチ」になっているので、「三国」が2014年にもなってやっと変えてるのは遅いぐらいだと思う。ちなみに現行の最新版で「エッチ」を採用しているのは「集英国」のみです。だからどうだということでもないんだけど。これ以上の「エッチ」「エイチ」問題は、より網羅的な辞書コレクションを持つしかるべき人士に追求してもらいたい。私の手には余る。なにしろうちには第3版以前の「新明国」もないし……。買うかな……。

 

アール (名)

 面積の単位のアール。まったく変わってない項目、その3。

あ▶アーチ

[亜] (接頭)/(名)〘地〙 4:2, 5:2, 6:2, 7:4

 第6版までは、「亜熱帯」などの接頭辞としての亜(したがって見出しとしては「あ―」)と、「アジア(亜細亜)」の略記としての亜が、別の見出しになっていた。それぞれ一行項目である。第7版ではひとつにされたついでに、接頭辞のほうは、「亜塩素酸」のような化学用語としての用法がやや詳しめに書き足されていて、四行項目になった。

 

[×啞] (名)〔文〕4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第4版の語釈では『(生まれつき)口がきけない・こと(人)』と書いていたところ、第6版から(生まれつき)を削除している。用例の方も、『盲聾唖の三重苦』としていたのを、第7版では「三重苦」を取り除いて『盲聾唖』のみとしている。ちなみに訓読みのほう(「おし」)を見てみると、第5版から『(差別的なことば)』という注意が加えられている。実態に即し、かつ差別語としての害を減じるように改稿されているものと見える。

 第5版では表記欄に「唖」のほうの字体も載せられているが、第6版ですぐに削除された。

「啞」というのはそもそもが常用外漢字なので、表記についての決まりが作られてこなかった。そのため、常用漢字の「亜」に合わせた略記体で書かれるようになったのが「唖」である。でもこういう、「比較的よく使われる常用外の漢字」って、ちゃんと字体が定まってないと、たとえばフォントによって別の字体になっちゃったりして、いらぬトラブルのもとだよね、ということで議論になった。それで平成12年(2000年)12月の国語審議会で、「啞」のほうが印刷標準字体と決められ、「唖」は簡易慣用字体として、要するに「使っても問題ない字だよ」とわざわざ名指しで言われる、という結論が出された(優柔不断といえば優柔不断だけど、むやみに用語用字を制限しないのはとりあえず良いことである)。三国第5版は2001年3月発行なので、ちょうどホットな話題として「唖」の方も載せたけど、第6版(2008年)では思い直して削ったようである。規範的なほうに振ったのか、単に使われてないと判断したのか、そのへんの経緯をお聞きしたいところである。

 

 (感)〔話〕7:4

、この項目は第7版が初出だ」というときの「あ」です。

 

 (終助) 7:3

「これまた第7版が初出だ」というときの「あ」です。

 

―ア (造語)〘地〙4:2, 5:2, 6:2, 7:3

 地名の略記としての造語成分で、①アジア、②アフリカ、③(日本)アルプスが挙げられている。第6版で分野表記〘地〙が書き加えられてるのと、なぜか③の用例が『南ア』から『北ア』に変えられている。②の用例も『南ア』なので、重複を避けたということだろうか。第7版で一行増えているのは、字詰めがすこし緩やかになったために二行でおさまらなくなったせいで、内容に変更はない。

 この使い方の「ア」を独立した見出しに立てているのは、他に「新明解国語辞典」ぐらいなので、「明解国語辞典」あるいは「三国」初期以来の特徴ある項目なのかもしれない(未確認)。最近では「アジア」も「アフリカ」もほぼ略さずに書かれるようになっているとはいえ、「東南ア」とあれば東南アジア、「南ア」とあれば南アフリカ共和国、ということが確かめられる国語辞典は三省堂のものだけ、というのはやや驚きである。逆に「南阿」が南アフリカのことだとわからない三国にも驚くけど(新明国だとわかる)。漢語の造語成分は基本よそに任せる、現代日本ストロングスタイル辞典ゆえの大胆な編集である。

 

ああ (副) 4:1, 5:3, 6:3, 7:6

 第4版では用例まで含めて堂々たる一行項目だったんだけど、第5版で『ああ言えばこう言う』という慣用句が加わって三行項目になり、第7版で『ああだこうだ』がさらに加わって、六行にまで増えてしまった。「ああいうことをしてるから、どんどん分厚くなるんだ」とか言われてそうである。

 

ああ (感) 4:2, 5:2, 6:2, 7:9

 第6版までは見出しの直後に表記[:嗚呼]があって、『何かに感じて出す声』としての意味だけを載せていたんだけど、第7版で大幅に増補されて「嗚呼」は意味区分①という扱いになり、さらに四種類もの用法が書き加えられて、九行も使う大きな項目になった。「ああ、こんなことばかりしてるから、どんどん分厚くなるんだ」とか言ってそうである。いち読者としては面白いから歓迎するのみだけど、出版社には頭痛のタネと推察します。

 

あーあ (感)〔話〕6:4, 7:4

 第6版での初出時は、見出しが『あああ』で、続く表記欄に『[あーあ]』と書いてある、というかたちになってたんだけど、第7版では見出しが『あーあ』になって、文末に別表記として『あぁあ』が書き加えられた。第6版では外来語じゃない限り見出しに長音符を使わない、というルールでもあったんだろうか。ちょっと他の例が思いつかないので、読み進めて確かめるしかない。

 

ああいう (連体) 4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 まったく変わってない項目、その1。

 

アーカイブ (名) (5:3), 6:6, 7:6

 コンピューター用語としての用法が①で、より旧式(本来のというか)な、資料などの保管所などの意味は、②のほうに『アーカイブス』という追い込み見出しを立てて書かれている。で、その『アーカイブス』の文末に、表記ゆれとして『アーカイブズ』と書かれているんだけど、実は第5版には『アーカイブズ』を見出し語として、②に相当する内容が書かれていた。と、いうことで、カッコ付きで第5版に三行、と書いているわけである。

 英語からの音訳でありがちな間違いとして「アーカイブズ」の形が先に普及していて、第6版が出るまでの間に「アーカイブスのほうが正しいよね」という人が増えた、という時代の変化が見て取れる。

 

アーガイル (名)〘服〙4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 もともと『ひし形の格子模様(コウシモヨウ)』とふりがなされていたのが、第7版では『格子(コウシ)模様』に変えられて三文字減った。行数の節約にはなってないけど。

 いっそふりがなを削って一行項目にしたい気持ちはやまやまだが、『格子』の意味がわからないうえに「カクシ」と誤読してしまって「コウシ」が引けない、という悲劇を回避するためには致し方ないところである……というのは私の妄想です。

 

アーキテクチャ(ー) (名) 7:3

 語釈を読む限り、IT用語として日本語に定着したという判断のようである。「建築」の訳語としてではない。「アーキテクト」はまだ頻度が低いかな。

 

アーケード (名) 4:4, 5:4, 6:4, 7:3

 ついに新しい版で分量の減ってる項目が現れた……んだけど、実はイラスト(商店街のアーケード)がなくなっただけで、本文は変わっていません。イラストがなくなるのは大ごとなので、「まったく変わってない項目」には入れない。

 

アース (名)/(名・自サ)〘理〙4:4, 5:4, 6:5, 7:4

 第5版までは「洗濯機をアースする」の意味だけが載っていたんだけど、第6版から『地球。大地。』という意味が[一]として加えられ、電気のアースは[二]に追いやられた。第7版で行数が減っているのは、『アーケード』のイラストが削除された影響です。

 [一]のアースを優先的な意味区分に立てているのは珍しいやり方で、「三国」以外の辞典では、「earth=地球・大地」のように元の英単語の意味として文末に注記されているか、意味区分[二]としているかである。いまや『アースカラー』とかのアースのほうが接地のアースより一般的、と観察しているのは、確かに平成の語感に合う。これぞ「三国」の面目躍如である。例えば「アーススキャナー」という番組名を見て、「接地線が必要なとこにちゃんと設置されているか抜き打ちチェックする番組かな」とか思う人がいたら、よほどの変人だと思う。

 実は「角川」と「新潮」も意味区分①に『地球。大地。』を載せているんだけど、これはどちらかというと、語の基本的な意味を先に書くという方針によるものである。「三国」はご存知のように現代語でもっとも一般的な意味を最初に載せる主義なので、日本語における「アース」の意味は、50年くらいかけて電気のアースという工学的な意味から、より原義に近い地球のアースに先祖返りしたわけである。

 

アーチ (名) 4:11, 5:6, 6:6, 7:6

 慣用句として『アーチをかける』というのが載せられていて、これは『ホームランを打つ』ことだと語釈されているんだけど、第5版以前は『(スタンドに入る)ホームランを打つ』と、ちょっとだけ詳しく書かれていた。ランニングホームランは『アーチ』として認められないことが明記されていたわけである。平成初期にあっては、野球とは今よりもホットかつデリケートな話題だった。

 第4版だけ11行もあるけど、これはイラスト(会場入口の飾りとしてのアーチ)がなくなった影響によるもの。『アーケード』にもイラストがあったばかりなのに、大盤振る舞いしすぎじゃないかとも思うけど、別に賑やかしのために載せてるわけでもないし、結果的として本文の1ページ目にトピアリーの入口アーチが描かれているのは、なかなか良いものである。なくなってしまって残念。

まえがき(と編集方針)

三省堂国語辞典」を四冊、第4版(1992年発行)から第7版(2014年発行)まで並べて読み比べているブログです。おおむね平成時代の日本語の(あるいは日本社会の)変遷が観察できるはず。

 以下、使っている辞書と、記述の形式について説明してます。

 

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