アールグレイ▶アイ

アールグレイ (名) 7:2

 第7版で初出。「三国」は一般国語辞典なので、固有名詞を載せる優先順位は低いんだけど、飲食物に関してはきわめてマメである。小型国語辞典で「アールグレイ」を載せているのは他にない。

 

アールデコ (名) 5:4, 6:4, 7:4

 第5版での初出以来、変更なし。

 他の辞書との比較になるけど、「集英国」「岩国」では1920~30年代としているのに対し、「三国」「新明国」は1910~30年代としていて、その開始時期に差がある。美術史的には、① WWI(1914~18年)の直前くらいのパリで生まれて、② 1925年のパリ万博で完全に開花し、人口に膾炙した……ということなので、「三国」側にわずかに分があるように思う。日本の国語辞典に載るレベルの一般語としては、パリ万博以降の「アールデコ」を指すべきだろう、という考え方もわからないではないけど。

 

アールヌーボー (名) 5:4, 6:4, 7:4

 これも「アールデコ」と同様、初出以来変更なし。

 

ああん (副)/(副・自サ)〔児〕/(感)〔話〕6:5, 7:5

  第6版での初出から行数は変わっていないが、意味分類の序列が変わっている。第6版では[一]が感動詞(①困ったときの声 ②甘えるときの声 ③ぞんざいに問いかける声)になっているけど、第7版ではこの分類は[三]に降ろされて、第6版の[二]に載っていた副詞(大きな泣き声)としての意味が[一]に昇格している。確かに「あーん」といえば、まずは泣き声だろうと思う。ただしこれは、時代による変化を反映した改稿というよりは、単に初出時の内容を訂正したことによるものと思われる。

 

あい―[相] (接頭) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 まったく変わってない項目、その4。

 

あい[合い] (名)/(造語) 4:5, 5:5, 6:5, 7:5

 まったく変わってない項目、その5。

 

あい[▷間] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 語釈は変わっていないんだけど、第6版まで見出しの下にあった〔文〕が、第7版では無くなっている。文章語ではなくふつうに(口頭でも)使われている語だ、という見直しがあったことを示す改訂だけど、これはいささか不思議な感じがする。挙げられている用例(①『間のふすま』②『障子の間』)からいっても、古風な言い方だという印象を受けるし、いまになって口語に復帰してるとは思いがたい。具体的にどんな用例があってのことなのか、ちょっと想像がつかない……とか考えながら、他の辞書をめくってみると、「幕間(まくあい)」とか「間着(あいぎ)」とかが例に挙がっていて、ああこれなら使ってるかも……と思いなおした。疑ってすまなかった。

 

あい[愛](名) 4:9, 5:9, 6:10, 7:10

 分量としても表面的な内容にも大きな変化はないけれど、時勢に応じた変更が加えられている、比較が楽しい項目である。

 記述全体を要約すると、三つの意味分類として、①非打算的な愛 ②男女間の愛 ③物や事に対する愛 というのと、三つの慣用句「愛の結晶」「愛の巣」「愛の鞭」が載っている、という構成はおおむね変わっていない。しかし、第4版から順に見比べていくと、第5版では一句違わずそのまま、第6版で若干の手直しをして、第7版では外見こそ似てるけど中身は一新、という変遷が見られる。比較のために、定義部分だけ抜き出して表に並べてみる。

表 「三省堂国語辞典」における愛の定義の変遷

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第6版で定義②が書き換えられているのは、単に「愛」の説明として「愛情」と言い切っちゃうのはどうなのよ、ということに気づいての改修と思われる。①が慈愛の愛、②が恋愛の愛、③が愛用や愛郷心の愛、という区別になっていることでは変わりがない。

 一方で第7版では、①が旧版の①と③を合わせたような意味になっていて、③はものだけを対象とすることと、『つくそうとする気持ち』、つまり献身の有無、という二点で区別がつけられているようである。

 ちょっとこれだけではわかりにくいので、第7版で書き加えられた用例を参考に見てみると、①には『学問への愛』、③には『カメラへの愛』が挙げられている。うーん。確かに「学問への愛」と言う場合に求められるであろう、プロフェッショナルとしての献身よりも、「カメラへの愛」というほうが、ちょっと好きで高価な機材も買ってますよ的な、アマチュアの物欲を「愛」と呼んでる風の軽薄なニュアンスが付いて回るような……とは思うものの、その逆のケース(専門書を積む学者気取りと献身的なプロカメラマン)もあるだろうし……とか思ってしまうのは、私の性格が悪いだけだな。

 余談だけど、③の定義にあたる、ものに対する「愛」の用法の説明では「辞海」がなかなか秀逸で、『他の漢字に冠して、「日ごろ大切に使っている」の意』という定義をしている。「愛機」「愛器」「愛車」とかの「愛」ですね。これは言わば造語成分としての説明であって、「三国7」の③で言う「物への愛」の用法とは厳密には違うとも言えるけど。個人的にはこの語釈、「愛人」という言い方に含まれる、わずかに相手をモノ扱いする冷ややかな気配を言外に指摘しているようにも読めて、怜悧な観察眼の発揮された名語釈じゃないかと思う。深読みしすぎだろうか。

 話を戻すと、①②の人間を対象とする使い方が主で、それよりは珍しい使い方だけど、ものごとを対象とする「愛③」もあるぞ、という風に読めてしまう第6版までの書きぶりは、「最も一般的な使われ方を①に載せる」という「三国」の大原則と、噛み合わなくなってきていたんじゃないかと思われる。日本語で使われる「愛」が、ものごとに対する献身を表している場合って、単純に頻度で比較したら、人に対して使われる場合より多い気さえする。データ見て言ってるわけじゃないので、間違ってたらごめんなさい。とりあえずちょっと「少納言」で出てくるのを数えてみようか……と思いかけたけどやめた。私程度の辞書愛では、そこまでの作業には踏み込めない。

 

 定義のほうはこのくらいにして、慣用句の説明を読んでいく。これも第7版でちょっとずつ変更が加えられて、より現在の使われ方にフィットしているように思う。

『愛の結晶』は、第6版までは子どもを指すものとされていたが、第7版で『〈子ども/作品〉』に変えられている。作品に対して言うのは、やや比喩的な転用の傾きがあって、わざわざ辞書で拾うこともないだろう、と私などは思ってしまうけど、きっと根拠になる実用例がけっこう溜まってたんだろう。

『愛の巣』では逆にちょっと意味が制限されていて、第6版までは『愛しあった夫婦がつくる(新)家庭』だったのが、第7版で『愛しあった夫婦がつくる(新しい)住まい』に変えられている。確かに家庭というよりは、住居のことを言っている、という語感はあるけれど、(新)を含めた旧版の、きれいなリズムも捨てがたい。七五調とは喜びである。

『愛の鞭』は、第7版で『〔体罰の言いわけにも言う〕』という注記が加えられている。第4版の時点でもすでに『特に、体罰』とは書いてあって、平成初年ごろには、いちおう公的に「体罰なんか効果もないしやめましょう」という事になっていたはずだから、いわば半歩踏み込んで、「体罰のことを『愛の鞭』と美称してることがあるけど良くないよね」というほのめかしをしていた、と解釈していいと思う。それを第7版では、真正面から踏み込んで袈裟斬りにするぐらいの勢いで『体罰の言いわけ』として言ってるだろ、と断じているわけである。このように、生真面目な辞書づくりを通じて、あくまで結果的に、鉈のように重く鋭い文明批評が浮き上がってくるところに、「三国」を始めとする小型国語辞典の妙味があると私は思う。

 

あい[藍] (名)〘植〙4:2, 5:3, 6:4, 7:3

 藍というと「青は藍より出でて藍より青し」ということわざを連想すると思うんだけど、この句が『藍』の項に書かれるようになったのは第6版からである。第5版では「:⇒(を参照せよ)」で『しゅつらん[出藍]』の項にリンクが貼られて、その先で「青は…」の句とその意味が出るようになっていた。第4版にはそのようなリンクもなかったが、『しゅつらん[出藍]』の見出し自体はあって、そこで「青は…」を知ることはいちおう出来た。しかし、「藍」をキーワードに「青は…」のことわざの意味までたどり着くことは出来なかったわけで、第5版ではその点が配慮されたものと思われる。

 その後、第6版で「藍」の項目中にも「青は…」の句が書かれることになるわけだけど、書いたからと言って特にその意味を説明することもなく、『「青」の[句]』という注記で『あお[青]』の見出しに飛んでいる。『しゅつらん[出藍]』には直接飛べなくなっているのだ。この処理はかなり手の混んだものなので、手元に「三国」第6/7版がある人はぜひ確認してほしいんだけど、「青」の見出しの下に書かれている「青は…」の句の説明を見てみると、『染料の青は藍を原料とするが藍より青い』という、そのまんまだというか、それは「染料まめちしき」だろうという文になってしまっていて、通常このことわざでイメージする「弟子が師を超える」という意味になっていない。さらにその下に「出藍」へのリンクがあって、そこへ飛んでやっと、『●出藍の誉れ[句]〔文〕弟子が先生よりもすぐれていること』という意味がわかるようになっている。

 こう書くと、「それじゃーただの二度手間じゃないか」と思われそうだ(私も思った)。しかしよくよく考えると、例えば「青」も「藍」も色の名前でしょ、という予備知識で「青は…」の句にはじめて遭遇した人は、「青は藍より出で」という部分が、染料とその原料の関係のことを言っていることには思い至らないわけで、そのまま「弟子が師を超える」という意味を説明されても、染料のことが頭に入っていないからうまく飲み込めない、ということになりかねない。すると、「青」のところで一旦「染料まめちしき」を説明されてから「出藍」に飛ばされる、という第6版以降の構成のほうが、ことわざの正確な理解に至る可能性が高いと言える。第5版の記述では、「出藍」の項で「青は…」の一般的な(「弟子が師を超える」)意味には辿り着けるけど、そこから「青」へのリンクが貼られていないので、自ら機転をきかせて「青」の追い込み項目を見に行かないと、染料(青)と原料(藍)の関係を比喩的に使って「弟子が師を超える」という意味内容を表現していることが確かめられない。

 ……と、長々と説明しといてなんだけど、いきなり「出藍」に飛ばされる第5版のほうが、まだるっこしくなくていいや、という人もいるんじゃないかという気はする。私のように、辞書を遊び相手とみなしているような人間からすると、より正確な理解のためならば、たび重なる参照の指示も大歓迎、ぐらいに思えるけど。

 ところで、第7版で行数が一つ減っているのは、「藍」が2010年の改定で常用漢字になったために、表記欄が[(×藍)]となっていたのが、[藍]で済むので三行に収まった、ということのようです。

 

あい (感)〔古風・俗〕7:2

「この項目は第7版が初出か?」「あい、そのようで」

 

アイ (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

アイキャッチ」とかの「アイ」。つまりeye。まったく変わってない項目、その6。

 

†アイ[I] (名)〔学〕4:1

 これは第4版を最後に使われなくなった見出し。学生の使う語(隠語と言うべきか)ということだけど、私はこれを見るまで知らなかったし、中型辞典にもウィキペディアにも載っていなかったので、意味が知りたい人は「三国4」を引いてみてください。