あいしょう▶あいせき

あいしょう[相性・合い性] (名) 4:2, 5:2, 6:4, 7:4

 第4版では『男女の気性がうまくあうこと』というかなり切り詰めた語釈で、それじゃあ合わない場合には「相性」を使わないのか、と思うのだけど、その点は用例に『相性が悪い』と書くことでフォローしている。第5版では『(男女の)』とカッコ書きにされて、人間関係一般に使われることを端的に示唆するにとどめたが、第6版では二つの意味に分類し、①を『男女の気性がうまく合うかどうか』、②は(男女に限らず)『人と人、人と物などの関係が、しっくりいくかどうか』と説明している。

 電子部品のたぐいなど、物と物との間にも「相性」という語を使うと思うんだけど、その意味を採っている辞書はないか……と探したところ、「集英国」は語釈中に明記、「新明国」ではやけに人間味のある用例で示唆していた。あえて引用はしないので、手にとって確かめてください。

 あと、他の辞典は軒並み「陰陽五行説で……」みたいな説明を始めてて、その点に触れない「三国」は例外である。卜占の類にはドライなんだろうか。

 

あいしょう[愛×妾] (名)〔文〕7:2

 第7版で初出。とはいえ「角川」「新選」「岩国」「集英国」と、他の小型辞典はだいたい載せている。しかし他の辞書では『気に入りのめかけ(岩国)』式の一行項目になっているところ、「三国7」は後追いの引け目を拭い去るためか、『法皇の愛妾』なとどいうドギツい用例をブッ込んでいる。ボルジアか。

 

あいしょう[哀傷] (名・他サ)〔文〕5:3, 6:3, 7:3

 第5版で初出。第6版で語釈中の『悲しみ』が『かなしみ』と開かれ、第7版で〔文〕がつけられた。

 

あいしょう[愛称] (名・他サ) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 まったく変わってない項目、その18。

 

あいしょう[愛唱] (名・他サ)

 第5版、第6版では〔文〕がついていたが、第7版では外されている。それとともに、『愛唱歌』だけだった用例が書き足され、『私の愛唱歌・世界の愛唱歌』という、年末のBSの歌番組のタイトルみたいな感じになった。「青い山脈」とか「峠の我が家」とか聞こえてきそうである。どちらかというと「新明国」のようなジューシーな用例と思う。

 

あいしょう[愛誦] (名・他サ)〔文〕

 第5版で〔文〕がついた。他の辞典では「愛唱」の別表記、あるいは漢字を変えて書く意味分類②になっている場合が多い。

 

あいじょう[哀情] (名)〔文〕4:1, 5:1, 6:1, 7:1

 第7版で〔文〕がついた。

 

あいじょう[愛情] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第5版までは意味分類②に『異性を恋いしたう感情』と書かれていたんだけど、第6版では外されて、異性愛としての要素は『夫婦の愛情』という用例にわずかに残されることになった。確かにいまの語感だと、いわゆる恋愛感情を「愛情」とよぶのはそぐわない感じがある。恋愛感情とは関係なく(あるいはそれが終わった後で)育まれるものこそ愛情、というのがコンセンサスになってるのではあるまいか。

 

あいじょう[愛嬢] (名)〔文〕6:2, 7:2

 第6版で初出。『かわいがっている娘。(他人の娘について言う)』という語釈になっているんだけど、カッコの中の注記を含めても、「ご愛嬢」という形で「他人が(親として)かわいがっている娘」を指す語として使われることがわかりにくいんじゃないか。「自分がかわいがっている他人の娘」に対して「私の愛嬢の……」とか言い出したら、えっ、って思われると思う。そうでもないのかな。

 

あいじるし[合い印] (名) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 まったく変わってない項目、その19。

 

あいじん[愛人] (名) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第5版までは、『①恋愛をする相手の人。こいびと』と『②「情婦」「情夫」の新しい言い方』というかたちで、通常の『恋人』の意味も載っていた(この意味は他の国語辞典には今もある)。が、この①はもはや古びたと判断されて、第6版で削られ、②に現代的なニュアンスを加味した『世間ではみとめられないような、ひそかな恋愛の相手』を指すのが「愛人」の意味である、ということになった。

 第7版でも再び改稿されたが、『夫や妻以外で恋愛関係にある相手』というもので、やや後ろ暗い雰囲気は減ぜられている。『世間ではみとめられない』と、いくらなんでも辞書にまで言われる筋合いもないだろう、という気はする。不倫関係であることをはっきり指摘している点で、第7版のほうが手厳しいという感じもあるが……と、あまり深く追求するのはやめておこう。

 

アイシング (名・他サ) 7:4

 第7版で初出。お菓子のアイシングが①、筋肉を冷やすのが②になってます。

 

あいす[愛す] (他五) 4:3, 5:3, 6:3

 第6版までは立っていた見出し。といっても、その意味には『愛する』とだけ書かれていて、別の見出し『あいする[愛する] (他サ)』の内容に準じるということだけが示されていた。他の情報としては、可能動詞『愛せる (自下一)』と、複合語の追い込み見出し『●愛すべき (連語)』が書かれていたんだけど、『愛せる』は『あいする』の見出しの下に置かれ、『愛すべき』は見出し語として独立させられて、第7版にも残っている。

 

アイス (名) 4:19, 5:22, 6:20, 7:21

 たくさんの追い込み項目を抱える巨大見出し。まず『アイス』の語釈について言うと、第4版では用例に『アイスコーヒー・アイスティー』と並べられていたのが、第5版で『アイスティー』だけに減らされた。

 追い込み項目の消長について、載ってる版の数字を一覧表にすると、

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……ということで、第5版で『アイスコーヒー』がいち用例から追い込み見出しに出世すると共に『アイスピック』が現れて、第6版で追いかけるように『アイスペール』も足されたが、その影で『アイスケーキ』がひっそりと退場した……ということです。以下、見比べていて気づいた点を列記。

・第5版までは『アイスキャンデー』だった。

・『アイスケーキ』というのは、もちろんアイスクリームを材料にしたケーキのことも載ってるんだけど、定義①が『牛乳の脂肪分が三%以下のアイスクリーム』となっている。いまでいうラクトアイスのことを、昔は『アイスケーキ』と言ってたのかな?

・『アイスバーン』はもともとスキー場などの雪面が氷で覆われてる状態を言う語だった。それが転じて、ツルツルに凍った路面(車道)をも言うようになったわけである。この用法が明記されたのは第6版がはじめてで、他にこの意味の『アイスバーン』が載っているのは「岩国7」だけ。他の辞典は(追い込み項目のルールのために)『アイスバーン』を独立した見出しにまで立てているが、路面のことは書いていない。

・第7版の『アイスホッケー』には『アイホケ〔文〕』という略称が書かれてるんだけど、一体どこから拾ってきたんだ……。しかも〔文〕て……。

 

あいず[合図] (名・自サ) 4:3, 5:3, 6:3, 7:3

 第6版で、『目で合図をおくる』という用例が書き加えられた。『アイコンタクト』の収載と同時である。

 

あいすべき[愛すべき] (連語) 7:2

 上述(†あいす)の理由により、いまはなき『愛す』の折り込み見出しという立場から独立を果たした語。ついでに〔文〕も外された。

 

アイスランド (名) 4:2, 5:2, 6:3

 みんな大好き、ビョークシガー・ロスアイスランド。第6版までは載っていたんだけど、やや百科語の傾きがあると判断されたのか、第7版では見出しから外された。

 他の辞書について言うと、こういうのは「集英国」や「新選国」には載るが、「新明国」「岩国」には載らない。ストイックな「国語辞典」であるからして、この手の固有名詞の優先順位は低めなんである。我らが「三国」も、現代日常語をくまなく採集するためには、このような固有名詞を載せている紙幅がもったいない、と思ったものと思われる。

 

あいする[あいする] (他サ) 4:4, 5:4, 6:4, 7:4

 上述(†あいす)の理由により、『愛す』の見出しから可能動詞の『愛せる』を引き取った。それ以外は変更なし。

 

あいせき[相席・合い席] (名・自サ) 4:2, 5:2, 6:3, 7:3

 第6版で品詞欄に『自サ』が加わったため、末尾二文字が次の行に出て三行項目になってしまった。ついでに、語釈中『よその客』となっていたのが『ほかの客』に改められた。確かに「よそ」って昔より使わなくなったような気がする……。

 

あいせき[哀惜] (名・他サ) 4:2, 5:3, 6:3, 7:3

 第5版で『哀惜の念にたえない』という用例が書き加えられて三行になった。第7版で削られるまでは〔文〕がついていた。

 

あいせき[愛惜] (名・他サ) 4:2, 5:2, 6:2, 7:2

 第5版までは『おしがること。なごりおしさ』とだけ書かれていたが、第6版から②に『たいせつに愛すること』という意味が加えられた。定義だけだとわかりにくいので用例も引用すると、①が『愛惜の情』、②が『愛惜の品』ということなので、①は人に関して、②は物に関して言っているから分けられているのかな、というふうに思える。

 ところが、他の辞典を引いてみると、「新選」「岩国」は物について使う語としていて、「集英国」「新明国」は主に物だが人にも使う、ととれる説明になっている。ということは、「三国」が①を人に対して使う場合、②を物に対して使う場合、としているとしたら、どちらかと言うと人について言う方が一般的、と考えているわけで、真っ向から対立することになる。

 そう思いながら、この①を再びよく読むと、別に物に対して言っていてもおかしくない文章だなと思えてくる。『おしがる』のはむしろ物っぽいぞ。『なごりおしさ』だって人に使うとはかぎらないだろう。『愛惜の情』という用例も、例えば使い古した万年筆とかについて言ってるようにも思えるし……とか考えていると、①と②を分割している事自体がナンセンスなのではないか、という考えが頭をもたげてくる。大切に愛して(使って)いたから、その物を惜しがるのではないのか。

「三国」のそっけないくらいに簡潔な語釈のせいで、『愛惜』の意味するところについて深く考え込んでしまった。